数寄mono


Warning: Undefined array key "hide_breadcrumb" in /home/iemoto/iemoto.jp/public_html/wp-content/themes/dp-magjam/inc/scr/breadcrumb.php on line 17

Warning: Undefined array key "show_only_last_update" in /home/iemoto/iemoto.jp/public_html/wp-content/themes/dp-magjam/inc/scr/meta_info.php on line 273

成人男性のみで歌舞伎を演じるようになったのは
AKB48劇場で「お泊まり券」が発売禁止になったから⁈

現在歌舞伎は男性のみで演じられ、女性は「女形」と呼ばれる男性が演じます。

ただ実は歌舞伎が始まった江戸時代の初期、歌舞伎は女性だけで演じられていたってご存じでしたか?

今の形、成人男性のみで歌舞伎を演じるようになったのには、それはそれは様々なドラマ、紆余曲折があったのです。

というわけで今回は、

  • 歌舞伎のご先祖様、出雲の阿国
  • それに続く女歌舞伎が禁止されたセクシーな理由
  • 若衆歌舞伎が禁止された「ユー、ボクの部屋に来ちゃいなよ」事件

といった現代歌舞伎の成立のドラマをお伝えしてまいります。

出雲の阿国

一般的に歌舞伎の始まりは、出雲の阿国という巫女、まあ遊女だったという説もありますが、この阿国が、京都の四条河原で「歌舞伎踊り」を披露し、大人気を得たことに始まると言われています。

この歌舞伎踊りは当時流行の最先端だった傾き者、あの前田慶次で有名なやつですね、ド派手な格好をして遊郭に通う、現代でいえばブランドモノに身を固めてクラブに通う男性芸能人的な人たちのモノマネをしたものです。

美しく色っぽい女性である阿国が男性である傾き者に扮し、遊郭に通って遊女達とイチャイチャする様子をみせて、これが大当たりしたんですね。

阿国は都のショービジネス界の絶対的エース となります。

すると次々に阿国のフォロワーがあらわれて、同じようなショーを始めます。

これが「女歌舞伎」または「遊女歌舞伎」といわれるものです。

女歌舞伎

女歌舞伎は「会いに行けるアイドル」をコンセプトに始まったAKB48劇場の元祖です。

ただ続々とグループが増え始めた女歌舞伎ですが、数が多くなって飽和状態になると当然「芸」だけでは食べていけないグループも出てきます。

そうすると今度は「色」を売り始めるわけですね。

つまり「握手券」なんかを販売し始めるわけです。

で、それはだんだんとエスカレートして今度は「お泊まり券」とかに発展します。

アフターOK券、しかも朝までコースというわけですね。

昼間は劇場で芝居仕立てのレビューや踊りをみて「押しメン」を見定めて、夜はその子を指名して楽しんじゃうというこういう仕組みです。

またそもそも「遊女歌舞伎」の場合は今でいうキャバクラとかソープランドのお姉さんがお店でショータイムを見せるようなものです。

これがアフターに発展しないわけがありませんw

まあ、あっという間に売春の温床となってしまうわけです。

そこで寛永6年(1629年)に風紀・風俗を乱すという理由で幕府から女歌舞伎は禁止されてしまいます。

お泊まり券禁止どころか、女歌舞伎自体が禁止になってしまったんですね。

そこで女歌舞伎の代替案としてメインストリームに躍り出たのが、「若衆歌舞伎」です。

成人前の若衆、大体15歳前後の美形の少年達、つまり今のジャニーズJr.のような子達が歌い、踊ってショーを見せたんですね。

若衆歌舞伎

ただこの若衆歌舞伎も女歌舞伎と同じような理由で承応元年(1652年)に幕府から禁止されてしまいます。

江戸時代当時、日本の性は世界一奔放だったといわれてまして、「LGBT」も普通のことだったそうです。

特にホモセクシャルのことは「衆道」しゅどう、しゅうどうともいいますけど、衆議院の衆に道と書いて衆道ですね、と呼ばれいて、年長の主人とか先輩が若くて可愛い後輩=まあ、これが若衆ですね、この若衆をかわいがることは珍しくありませんでした。

ちなみに「好色一代男」の主人公の世之介なんぞは、「たはふれし女三千七百四十二人。小人(これは少年のことですね)のもてあそび七百二十五人」と交わったと豪語しています。

ただ元々は女性を連れて行くことができなかった戦国時代の戦場において、武将が寂しさを紛らわすことを目的で行われたものなので、「主人のためなら身も心も、さらには命さえ捧げる!」というように、現在私たちが考えるよりもずっとピュアな面もあったようです。

とにもかくにも、若衆歌舞伎でも女歌舞伎と同じ事が起こり、昼は芝居仕立てのレビューや踊りをみて押しメンを決めて、夜は「ユー、ボクの部屋に来ちゃいなよ」となったわけです。

まあ、そりゃ禁止されますよねw

そこで苦肉の策で生み出されたのが、現在にまで残る野郎歌舞伎です。

成人男性、当時は「野郎」と呼ばれていたのですが、この野郎だけで舞い踊る現在の歌舞伎の形が整ってきたというわけです。

野郎歌舞伎

この野郎歌舞伎が現代にまで伝わっているのですが、ここで面白いことが起こります。

「色を売ってはいかん!」というテーゼが、いつの間にか「女性以上に女性らしく「女」を演じる「女形」というメタテーゼに昇華していくのですね。

ただそのお話は話すと長くなってしまうので、今日はこの辺りでやめておきます。

まとめますと、

  • 女歌舞伎のアフターが禁止されて若衆歌舞伎になった
  • でもその若衆歌舞伎も「ユー、ボクの部屋に来ちゃいなよ」が禁止されて野郎歌舞伎になった
  • で、現在に至る、成人男性のみで歌舞伎を演じるようになった

と、こういうわけです。

お分かりいただけたでしょうか。

今回の内容はポッドキャストでも配信しています。

気に入ったらAppleポッドキャストやSpotifyで購読、フォローをお願いいたします。

ABOUT THE AUTHOR

Iemoto
スギウラナオキ 1966/丙午 生まれ 典型的な双子座

元歌舞伎役者(四世中村雀右衛門 門弟)
JSA認定ソムリエ
AFP/2級ファイナンシャル技能士

現在はライターとして
○伝統芸能
○ワイン
○クルマ
○シニアライフ/お金/ライフプラン

などのテーマで執筆活動をしております。
お問い合わせは
E-mail:naoki0615@gmail.com

COMMENTS

コメントはまだありません。

FacebookでシェアTwitterでシェアTumblrでシェアPinterestでシェア